2016年1月29日

船乗りたちの歌 "酔いどれ水夫"

力仕事が多い船で、ロープを引くときに歌う歌

帆船の時代に、水夫たちはたくさんのロープを引く仕事がありました。
そんな彼らは、力を合わせて同じタイミングでロープを引くために歌を作っていました。

そんな歌をSea Chanty(シー・シャンテ)と言います。
日本でいう、ソーラン節のような感じですね。
今日は、アイルランド人やイギリス人にとってのソーラン節のような1曲を紹介します。

この歌はメロディーも軽やかで覚えやすく、シー・シャンテの中でも有名な曲で、どこかで聞いたことがある方も多いとおもいます。
歌詞を見ていくと、普段は使わない言葉がたくさん出てきて、海の世界を垣間見るようです。

酔いどれ水夫 "Drunken Sailor"の歌詞

今では民謡のような曲で、歌詞にもいろんなパターンがありますが、The Irish Rovers(アイルラン人の放浪者という意味だそうです)が歌っている有名なバージョンの歌詞をかいつまんで見ていきましょう。

iTunesから試聴、ダウンロードができます。試聴したら聞いたことある!と思うかもしれません。



What will we do with a drunken sailor? ×3
酔いどれ水夫をどうしよう?
Early in the morning
朝早くから

ストーリーは朝になっても酔っ払っている水夫をどうしようかみんなで考えるというものです。
朝には夜の間たたんでいた帆を開くため、そんな時に歌われた歌です。
酔いどれ水夫をどうしよう?という問いかけにたくさんの水夫がアイデアをリズムに合わせて歌い上げていきます。

Way hey and up she raises ×3
ウェイヘイ、帆をあげろ
Early in the morning
朝早くから

Shave his belly with a rusty razor ×3
腹を錆び付いたカミソリで剃っちまえ
Early in the morning
朝早くから

最初のアイデアからいきなりキツイことをしてきます
海風に吹かれて錆び付いたカミソリでお腹を剃るなんて、考えたくもないですね

Put him in a long boat till he's sober ×3
酔いが醒めるまで、ロングボートに突っ込んでおけ
Early in the morning
朝早くから

ロングボートというのは、船に積んであるボート(落水者の救助や島に上陸するのに使いました。)の一つです。
ロングボートはその中でも大きめで現在ではカッターと呼ばれているようなものです。
役立たずは船の上で釣り上げてあるゆらゆら揺れるロングボートの見えないところに入れておけという、まあまあ優しい対応ですね

Stick him in the scupper with a hawsepipe on him ×3
水が流れるホースパイプの中に突っ込んでおけ
Early in the morning
朝早くから

冷たい水で目を覚まさせようというのでしょうか?
ちなみにホースパイプというのは、船の錨につながる鎖が通るパイプでそのまま船の外につながっています。
船に打ち込んだ水が流れるのはもちろんのこと一歩間違えば、海に落ちたり怪我をする可能性もあるというちょっと過激な意見です。

Put him in the bed with the captain's daughter ×3
船長の娘とベッドに入れておけ
Early in the morning
朝早くから

昔の船は男の世界と思われがちですが、船長は娘や妻を一緒に船に乗せている事もありました。
そんな船長の小さい娘のベッドに入っているどころか近づいたことさえバレたら、船長はどんな罰をするかわかりません。
酔っ払っていても本能で一番気づきそうなそんな工夫された方法ですね。

That's what we do with a drunken sailor ×3
酔いどれ水夫はそうしてやるよ
Early in the morning
朝早くから

Way hey and up she raises ×3
ウェイヘイ、帆をあげろ
Early in the morning
朝早くから

こうして、この歌を歌いながら毎日帆を上げていくのです。

ちなみに、この他にもいろんなアイデアがあるので幾つか紹介します。

Put him in the bilge and make him drink it
船の底の汚い水につけてやれ

bilge(ビルジ)というのは船の底に溜まった船の中で考え得る限り一番触りたくないような水です

Heave him by the leg with a running bowline
足をロープで括り付けて逆さに吊り上げてやれ

running bowline(ランニングボーライン)とは、結び方の一つで海でよく使うもやい結びではなく、ロープを引くと輪が小さく閉まる結び方(日本語で言う罠結びのようなもの)です。
猟師が輪の中に餌を入れて動物が入ったら、それを捕まえられるような結びですね。
これをされたらさすがに酔いどれ水夫も正気にかえるでしょう。

配信もされている曲でとても陽気なメロディーの曲なので、ぜひ聞いてみてください!


2016年1月26日

船乗りと食事の話

船乗りと食事の話

みなさん"船乗り"と聞くとどんなイメージがありますか?
今日はそんな船乗りたちの食事やお酒についての物語です。

船乗りや海賊で思い浮かべることに"飲んだくれ"があるのではないでしょうか?

キャプテン・クックと壊血病

ときは大航海時代
冷蔵庫のない時代、海の上での長い航海の間、保存しておける食料はあまりありませんでした。船乗りたちの食事は主に、硬くて固くてしかも虫が湧いているビスケットと、塩漬け肉でした。(他にもチーズや豆、野菜も積んでいましたが、すぐに腐ってしまうので食べられるのは最初の数週間の間だけです)


船にはもちろんコックが乗っていたのですが、一人当たりの水と食事の量はしっかり管理されており、違反すれば厳しい罰が待っていました。
ビスケットはそのままでは食べられないほど固くなりスープに浸してやっと食べれるようなものでした。
塩漬け肉は大きな樽に入っており、長い航海の最後になればいくら塩につけてあるとはいえ、異臭を放つようになっていました。
もちろん積んでいる真水もどんどん濁ってきて雨がまさに恵みの雨となっていました。

そんな食生活が続くと、多くの船乗りはビタミンC不足で壊血病という恐ろしい病気にかかってしまいます。
コロンブスから始まった大航海時代の間、長い航海では悪い時には半分くらいの船乗りが壊血病で死んでしまうのは当たり前のことだったのです。

大航海時代の最後に現れたイギリスの航海者キャプテン・クックが自らの航海でキャベツの漬物を多く積み込み、寄港地でも果物や野菜、新鮮な肉を手に入れるようにしていた(当時の多くの船長は食料に多くの金額を使うことは少なく、クックはこの点では乗組員思いの船長でした。)ため、長い航海で1人も壊血病で失うことはありませんでした。

それから研究が進みイギリスの船は全てライムジュースを積み込み、船乗りは毎日飲まなければいけないということになりました。

このライムジュースは長期保存で濁った真水に混ぜて飲むことでその不快さも少しは和らいだとか。。

ラム酒

ラム酒もライムジュースと同じく、イギリスの船に深く関わりがあります。
サトウキビを原料に作られるラムは、大航海時代の中盤〜後期に船乗りたちがアメリカのカリブ海周辺の地域にサトウキビを持ち込み、作るようになったと言われています。

18世紀中頃から1970年までイギリス海軍は海兵にラム酒を支給していました。
「グロッグ」というのは水割りのラムのことですが、配給のお酒をすぐに飲み干してしまう強者のために、ラムをストレートではなく、水割りで支給したのがはじまりです。

また、貿易を行う商船でも嵐を乗り越えるために、眠ることなく働きづめた後は船長から酒の配給があり、労をねぎらわれたとのことです。

また、ナポレオンとイギリスの戦いであるトラファルガーの海戦では、戦いには勝利したものの戦死してしまったネルソン提督の遺体をラム酒(実際はブランデーだったとも言われている)に漬けて腐らせないようにイギリス本国へ持ち帰ったためにイギリスなどではラム酒のことを"ネルソン提督の血"と呼んだりもします。

なんと、そんな遺体を持ち帰る途中に、漬けてあるラムを船乗りが飲んでしまったなんて話も残っています。

そんなお酒にまつわるたくさんの伝説が残っていますが、本当に船乗りはお酒が大好きだったのでしょうか?
海賊や船乗りがラム酒をたくさん飲んでいたのは事実ですが、今でいうアルコール中毒の船乗りがいれば、一方でいつも腹ペコの船乗りたちの一部は重労働の後には、酒じゃなく食事をくれと思うことも多かったのではいないでしょうか?


ちなみに、オススメのラムの飲み方は、ライムジュース&ソーダ割りです。
美味しくて、船乗り気分を味わえるので是非お試しください!


塩漬け肉

樽いっぱいに入った塩漬け肉。
肉が食べられるなんて意外といいと思うかもしれませんが、実際は美味しいものではなかったようです。
現在でいえばハムなんかも塩に漬けて熟成したりしますが、当時の塩漬け肉はイメージとしては屋外でずっと保存した質のものすごく悪いコンビーフです。

そのままではなく、スープにしたりして食べられることも多かったよう。
ここで、そんな塩漬け肉のお話をひとつ

ハムや特にソーセージで有名なドイツの港町ハンブルク
今でもヨーロッパで最大級の港ですが、古くから港町とし栄えてきました。

蒸気船が登場する少し前の時代、帆船がまだ客船として航路を持っていた頃に、ハンブルクからはアメリカ大陸行きの旅客船が出ていました。

旅客船と言っても、主な目的は物資を運ぶことで、船内の一室程度が全旅客向けの唯一の場所でした。

もちろん寝具も食事も何も付いていません。
船の運航は全て船乗りがやってくれますが、生活の世話については一切と言っていいほどありませんでした。
唯一、用意されたのが料理用の小さな"かまど"です。
今の客船とは大違いですね

そんな船に乗る客にとって長い航海の間に何を食べるのかが、大きな問題です。
港町のハンブルクでは、幸いなことに塩漬け肉を安く手に入れることができました。
また、名産の玉ねぎも安く買うことができました。

しかし、そのまま食べてもまずい塩漬け肉を何とか美味しく食べるために
塩漬け肉と玉ねぎをミンチ状に切り焼いて食べると、これが美味しい!

そうやってハンブルクからアメリカへ向かう船の上でハンバーグは生まれたのです。諸説あるみたいですが)

それにしても客船でありながら、食事を自分で用意しなければいけないのは、船に不慣れな客にとってはものすごく大変なことだったでしょう。


バイキング

日本で大人気な食べ放題のバイキング!
これの語源も船に由来しています。

中世の北欧(ノルウェー、デンマーク、スウェーデンあたり)に住んでいた人々は"バイキング"と呼ばれ、グリーンランドなどを経由し大西洋を渡って、コロンブスより先にアメリカ大陸に達したり、一方でヨーロッパで交易や略奪を行っていました。

そんなバイキングの語呂の良さと豪快なイメージに目をつけた日本のレストランが食べ放題のことをバイキングと名付けて売り出したところ一気に言葉が広まったそうです。

現代の船乗り

現代の船には冷蔵庫ならぬ冷蔵室がしっかり完備されていて、長い航海の間でも最高級のディナーが食べられるクルーズ客船もあり、お客さんが自らハンバーグをこねていた時代とは全く違う船旅が味わえるようになりました。

船乗りの食事も大きく変わりましたが、一方でお酒好きは変わっていないかもしれません。
普通に買うと、酒税やビール税が高いですが、外国に行く船は"日本"ではないので免税で安くお酒を買うことができます。
そのため、外国航路の船乗りは免税のお酒を手に入れて飲むことができるのです。(実際には仕事もあるので呑んだくれては入られませんが)

なら、クルーズ客船でも安く買えたらいいのですが、客船には基本的に船の上にバーやレストランがあるため、お酒の個人での持ち込みはできません。
ですので、もしお酒が好きで船旅をしたい方は、客船以外の船(練習船や調査船?)に乗れるようにしてみるのがいいかもしれませんね。
ただし、プールやレストランはありませんが。。

2016年1月22日

古今東西、ナビゲーションの話 -Part2 GPSなしでも航海ができる!-

Part1をまだ読んでいない方は先にお読みください。

ひと昔前のお話

磁石の羅針盤

まずは、ジャイロコンパスというすんごい機械が発明される(1908年と言われています)までは、どうやって方位や自分の向いている方向を知っていたのでしょうか?

それが前回もちらっと出ました方位磁針、それににいろいろ工夫して揺れる船の上でも使いやすくした羅針盤、通称マグネットコンパス。そのまま磁石の羅針盤ですね

地球に磁石が入っていると考えると北極にS極、南極にN極が入っていると都合がいいのですが、実際は北極とS極、南極とN極の場所はずれていて、しかも毎年少しずつ変わっていくのです。

なので、場所によってはぴったりと北を指すこともありますが、ほとんどの場所ではずれてしまいます。ちなみに今の日本付近では場所によって5°〜7°反時計方向にずれてしまっています。
ずれてしまっているのはしょうがないので、その場所で何度くらいずれているかを調べてさえおけば、ほとんど問題なく使うことができます。

また、これだけではなくマグネットコンパスにはもう一つ欠点があります。
方位磁針の近くに他の磁石を置くと正しい方向をささないのと同じで、ほとんどが鉄でできている船自体が方位磁針が北を指すのを妨げてしまうのです。しかも、地球上の場所や船の向いている時ごとに右に左に狂いが生じるので、これを見抜くのは楽ではありません。

実は、この鉄でできた船による狂いを"自差"なんて呼ぶのですが、この自差はさらに時代をさかのぼる昔にはほとんどありませんでした。
なぜって、船が木でできていたからです。
なので、昔の人はマグネットコンパスを割と快適に使えていたと思えます。

ただし、局所的な磁気異常でその場所で知られているよりもズレが大きくなることはあります。(富士山の樹海では方位磁針が回るなんていう都市伝説もありますが、あくまでずれ方が多少変化するという程度です。)

魔の海域として知られるバミューダ・トライアングルもこの地磁気に異常があったため船乗りが進む方向を間違え、遭難が多発したなどという説もあります。(実際は嵐などに起因する遭難が多いようです。)

便利なGPSが出てくる前

宇宙にある人工衛星からの電波で、自動で自分の位置がわかるという昔の人からしたらドラえもんの道具なみのGPSが実用化(1993年と言われています)される前には、地球上の基地局からの電波を使って自分の位置を知るLORANなどという、仕組みが使われていたこともありました。

しかし、その前となり、電波を使わない時代となると、自分の位置をどうやって知るかはまさに大問題で使われていた方法も一気に様変わりします。

その方法とは、ズバリ

太陽、月、星です!

その昔から天文学者や航海者たちが空を観察して、解明した星の動きのメカニズムで、
ある瞬間に太陽や月、星が見える高さはわかるようになっていました。

そのため、太陽や月、星の高さを六分儀と言われる角度を測るのに適した特殊な望遠鏡で計測して、難しいサインコサインタンジェントがたくさん出てくる計算をすることによってやっと船の位置がわかったのです。(これを天文測位、略して天測なんて呼びます)

もちろん精密な六分儀が必要で、かつ正確な星の動きが必要なので、最近〜現在に天測に比べて、昔の天測はかなり大雑把(測った星の高さが10分の1度違えば、10kmも誤差が出てしまうため)だったようです。
今ではかなり正確に天測ができて、停電の時でも大変な計算は電池で動く小さな計算機がやってくれるようになりました。

しかも、星たちの動きのメカニズムは分かっていても、"正確な時計"がなくては果たして星がどこにいる時に測ったかがわからないので、どうしようもありません。

この時点で時代は1750年ごろまでさかのぼっています。
時計ができれば、星の動きで海の上でも場所がわかるようになるということがわかっていたため、当時のイギリスでは正確な時計を作った者(実際には正確な位置を求める方法を考案した者)に多額の賞金が与えられることになっていました。

イギリスに住んでいた時計職人だったジョン・ハリソン(Jhon Harrison,1663-1776)は、そんな話を聞いて、時計職人として最高の時計を作り上げようと決意します。

揺れて湿気の多い船の上で、長い航海の間壊れない正確な時計を作るというのはとても難しいことだったのですが、ジョンはそれを成し遂げます!
多数の試作機を作り上げ、実際の航海での使用も行われたのちに、やっとのことで功績が認められて賞金を受け取ることとなりました。(その時点で死去するわずか3年前と言われています)

まさに全生涯をかけて時計を作り、人類にとっての課題であった「自分がどこにいるのか?」という問いを解決したのでした。

さてさて、時代をさかのぼって、1750年ごろ、これより以前は、自分がどこにいるかを知るには、正確な時計がないために不完全な天測と、昨日から〇〇の方向に〇〇マイルくらい進んだから今日はこの辺にいるだろうという推測で航海をしていました。

しかも、正確な時計による天測を使って初めて正確な地図(海図)が作れるようになったので、この時代は「地図もない大海原をどこにいるかも正確にわからず、コンパスと推測だけを頼りに航海していた」という時代になります。
これがまさに1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見などに代表される大航海時代というヨーロッパの人々による地球全体の壮大な探検のときの航海でした。

もちろん発見をした船はごく1部で多くの船が遭難している時代で航海はとっても危険なことだったのです。


と、ここまで現代文明へとつながるヨーロッパの人々たちとともに歴史を遡って来ましたが、実は彼らより先に世界の海をまたにかけて航海-ナビゲーション-していた人たちがいるのです。

Part3 はそんな人々のお話です。
乞うご期待!

2016年1月19日

古今東西、ナビゲーションの話 -Part1 ナビゲーションの難しさと最新の技術-

ナビゲーションってどういう意味

ナビゲーション"navigation"と聞いて、はじめに思い浮かぶのは
カーナビや乗り換え案内アプリなんかを思い浮かべるかもしれません。

そういう意味ではガイドとかと近い意味かもしれません。

ちなみに航海という言葉を英語にするとナビゲーションで、航海士はナビゲーターとなります。
そんな航海士のお仕事であるようなナビゲーションですが、もちろん海に限ったことではなく、車を案内してくれるカーナビはもちろんのこと

見知らぬ国で道を教えてくれる人や
砂漠を長年旅してきた案内人や
宇宙に打ち上げるロケットの軌道をうまいこといくように計算してる人
なんかもナビゲーターと呼ばれるでしょう。

そう考えると、どこか目的地へたどり着くための答えを知った人、
もしくは目的地までの道を見つけ出してくれる人
そんな人がナビゲーターと言えそうです。

海で迷わないために

海は陸から離れてしまうと、見渡す限りの水平線!
ナビゲーターがいなければ迷ってしまいます。

海と空だけの空間の中で、自分が今どこにいる?
どっちを向いている?
というのはものすごく難しい問いです。

想像してください。
沖縄で船で遊んでいたら、エンジンが壊れて、直すのに一晩もかかってしまい、
直ったときには島影は見えず、
暖かい風が吹いていたからきっと南風で北のほうに流されたんだろうななんて推理をしながら、途方に暮れてしまいそうなあなた。

天気も良く、遭難の心配はなさそうですが、腹ペコです。
エンジンは直ったので、どちらかの方向に走り出そうと思います。

太陽は高く上りどちらが南かよく分からない。
どうやって方角を決めたらいいのか?
そもそも、今沖縄の北にいるのか南にいるのか?

予想通り北にいるとして太、陽が西に傾くのを待ってから南に向かって行こうと思うが、方角がわずかにでもずれていて沖縄を見ることなく通り過ぎてしまったら大変です。

。。。さて、困りました。
現実ではもっと安全対策をしていくよ!
むしろ北や西に向かったらどこかには着くやん!
というのは置いておいて、海で自分がどこにいてどちらを向いているかを知るのはなかなか難しそうだというのはわかってもらえたでしょうか?

そんな時にどうするのか、どんな道具や文明の利器を使っているのかを時代を遡って紹介していきたいと思います。

最新のナビゲーション、航海術

いきなり、最新鋭の航海術からいきたいと思います。
現在では、実は船が無人になって自動航行するための一つひとつの技術はもう確立されていると言っても過言ではありません。

狭い港に入る場合などに熟練の技が必要になりますが、その辺りも研究が進められています。
船は無人でそういう熟練の技が必要な場面だけ、プロが遠隔で操縦してしまおう!なんてアイデアもあるほどです。

車の自動運転と同じで船の前に障害物があれば、自動で止まったり避けたりは可能ですし、コンピュータが予想した精度の高い天気予報に従って自動で荒れてない海を選んで走って燃費を良くするようなこともできています。

そんな最新鋭の世界ですが、やはり基本にあるのは
どこにいて、どちらに向かっているのか?という問いです。

どこにいる?

どこにいるか?というのは、みなさんご存知のGPSを使っています。現在では、その誤差は10m程度と言われているので、陸や浅瀬のすぐ近くでなければ、全く問題ありません。
しかも、常にリアルタイムで最新の場所がわかるので、どこにいるかを考えるまでもなく、地図の上に自分のいる場所が表示されています。

GPSは宇宙にある人工衛星の場所からの距離がわかることで自分の位置がわかります。(厳密に距離が正確にわかるわけではないのですが、ここでは割愛します)
なんとも、壮大な話ですね。カーナビを使っている間ずっと宇宙からの電波を受信しているってことです。

ちなみにGPSはアメリカのものを世界中の人が共同利用しています。
だから、アメリカ頼りは良くないということで、EUやロシア、中国、それに日本も"自分たち独自のGPS"を使えるように頑張っています。


どっちを向いている?

次に、どちらを向いているかについてですが、これは羅針盤=コンパスを使って知ることができます。
よく知られた方位磁針でもおおよその方向を知ることができますが、実は方位磁針には誤差がかなりあって10°や20°ずれてしまうのは当たり前なのです。(もちろん対策もあります)

最も広く普及しているのはジャイロコンパスという道具です。
ジャイロといえば。。野球で一時期流行ったジャイロボールを思い浮かべてしまいますが、あのイメージとは少し違います。

「めちゃくちゃ速く回転している物は同じ方向を指し続ける」というなんとも都合のいい現象があるのです。
だから、一度北に合わせて回してしまえばいつでも北がわかるという素晴らしい道具。(実際にはいろいろな技術を組み合わせて北を指し続けるのですが、やっぱりここでは省略)

つまりいつでもどっちを向いているかもわかってしまうんです!
だから、どこにいてどっちに向いているかがわかってもちろん精密な地図もあるので、コンピューターに任せていても航海できてしまうんですね。
(実際の実現には、船の機械の整備やメンテナンスが必要だったりということもあり、すぐに無人の船が出てくるというわけではないです)

つまーり、最新の技術ではナビゲーションなんて楽勝なんですね、、、
とは言っても今の船乗りたちもこれから紹介するナビゲーションの技術を持っています。
なぜって、停電したらGPSもジャイロコンパスも使えない!!のです

では次回以降は少しずつ時間を遡っていきましょう。。


2016年1月16日

セイルトレーニングとは? Part3「海と仲間とこれからも」

帰りの航海

今日も船は傾きながら波を切って進んでいきます。
思えばこの航海も残りあとわずか
最初は船酔いで動けなかった自分や仲間は今では自分たちだけで大きな帆の向きを変えたり、マストに登って畳みに行ったり、

夜の当番中では、空いている時間に波と星のきらめきをバックミュージックにしながら今までの人生のことや陸での生活のこと、いろんな話をいろんな人と交わしてきました。
ずっと船に乗っているという船乗りの大荒れの海の武勇伝は以前だったら想像もできなかったけど、今は容易に想像できます。
遭遇したくはないけれど

そういえば、ここにきて今まで回ってこなかった食事当番も回ってきました。
渡された材料を料理が得意な仲間のおかげでどうにか全員が食べられる食事にできました。

最終日の前日の朝、太陽が高く上りかけた頃に水平線の上にうっすらと緑色のラインのような陸が見えてきました。
すぐにみんなに伝えると、デッキは大騒ぎに!

上げていた帆の数も減らしていよいよ航海の終わりをひしひしと感じます。
船の下の方ではエンジンがボォオボォオと低い重低音を上げ始めました。

海から見ると港って随分おくばったところにあります。
ついに全部の帆を降ろしきり、日没の頃、船は陸のすぐ近くに錨を入れました。

海から陸へ繋がる時間

最後の夜の今日は全員でデッキ上でパーティです。
どこに積んでいたのかたくさんの飲み物やお酒や食事が出てきます。

この日はいつも以上に生まれも年も関係ない。
大事なのは同じ航海を乗り越えた仲間たちであるということ。

あった時からずっと、一緒に海で風に吹かれてきた仲間たちもここで一緒に美味しい食事をしていると、なんだか昔からの友達のようです。
なんとなくですが、特に同じ当番によく入った何人かの仲間とはこれからもずっと仲良くしていけるように感じました。

いつもは当番で変則的だった生活も終わり、たっぷり食べて飲んだ後は三々五々自分のベッドに帰っていきます。

船とのお別れ

最終日の朝、錨を上げた船はまっすぐと港の中へ向かっていきます。
高いビルの間に、どこか排気ガスの混じった匂いが漂っていることに気づく自分がいます。
最後は仲良くなった船乗りたちがプロの技で船を突堤にピタリと止めてくれました。

しばしの荷造り、初めは狭いと思ったベッドも航海の最後には自分の手の届くところにいろんな物をおいて、居心地抜群になっていました。

いざ別れの時、いつもの船の装いから陸の装いに変わった仲間に驚いていると、最後の挨拶が始まりました。
船長、乗組員の船乗りの笑いの絶えない挨拶が終わると、いよいよ船から降りる時間です。

街はまだ朝の雰囲気の午前11時、船で手を振る乗組員が見えなくなるまで手を振りながら街の方へ向かいます。
乗るときは一人だったけど、今はたくさんの仲間と駅に向かっています。

久々に手に取る携帯電話、街の騒音、いろんなものが今までと違って新鮮に見えてきます。

駅までくると仲間ともお別れに。新幹線や飛行機で遠くから来た人もいます。
連絡先を交換し、再会を誓ってしばしのお別れです。

日常に戻っても。。
あれから夏休みが終わって、私は学校に通う毎日を過ごしています。
この前の週末には隣の県に住む船で出会った仕事をしている仲間との再会も果たしました。

ある日の朝、船から一通の手紙が届きました。
乗組員のみんなは元気そうです。
また来週から船は航海に出るそうです。

そこでまたいろんな人が出会って成長していくんだと思うと、少しにやけます。
あ、学校に行かなくちゃ

家を出ると右頬に少しきつめに風が吹き付け、また海にタイムスリップ

それからいろんなことがありますが、あの海を乗り越えた自信で前より少しだけいろんなことにチャレンジできているように感じます。

おわーりー!


ここまで、少し長めの"セイルトレーニング"に参加するとこんな感じだよというのを物語風に書いてみました。
航海の内容はは船ごとに違うし天候によっても大きく左右されます。
途中港によることもあれば、一気に太平洋を横断する航海もあります。

一つひとつの航海に参加すればすごい物語が生まれるのです。
とは言っても、今の日本ではこのような航海を体験できる場所は多くありません。


それでも、"セイルトレーニング"に参加するのは海が大事な場所の一つになっていく近道です。
これから少しずつ、こういう航海に参加する道のりを紹介していきたいと思います。

2016年1月13日

セイルトレーニングとは? Part2「海を知る」

海で起きるいろんなこと

嵐が来る

慣れてきた船の生活、船はどんどんと陸が見えない方へと進んでいきます。
だんだん高くなる青や紺色の波に合わせて揺れてきた感じがします。

すると、仲間の一人が顔色悪くなってきます。船酔いです!
最初は強がっていたけど、だんだん他のことを考えられなくなってきて、、、
この状態が結構続いて、、、

吐き気が波のように押し寄せます。
船の中で吐いたら大変だけど、海に吐けば大丈夫です。
隣でも、仲間が海とにらめっこしています。

休んでいたいけど、みんなでやることがたくさんあります。
「舵取り」「見張り」
「帆の向きをかえるぞー」
ロープを引いている間は不思議と元気です。

また休憩に入ろうとしたら、海に呼ばれるように、船べりまで行ってまた海とにらめっこです。

そんなしんどい船酔いですが病気ではありません。
水さえ飲んでいれば、大丈夫です。
きついけれど食べ物も食べると早く克服できます。
そうやって半日から1日ちょいで皆グワングワン揺れる船の中でも元気に変わらず過ごせるようになります。


海の生き物たち

船で生活していると、いろんなことがあります。
海に生きている生き物たちとの出会いは格別です。

「クジラがいるぞー!」
その声にみんなが船の前の方に集まります。
行ってみると、遠くで水をバシャバシャする黒い影が!

でも何やらよくわかんないなと思っていると、黒い影が近づいてきた!!
みると大きな親クジラの横を寄り添うように泳ぐ子クジラがいます!

他にも船と一緒にずーっと泳ぐイルカや
マストから海を見ていると流れ星のように水面をキラキラと疾走するトビウオ、
船の釣り針にかかってきたカツオやマグロ

陸を離れてから一緒に船旅を楽しんで、救命ボートの下がお気に入りの海鳥くん

地球に溢れる生き物たちがまるで友達のように感じられるひとときです。


夜の暗さ、星の明るさ

今日は真夜中からの当番です。起きてデッキに上がっていくとあたりは真っ暗。
雲が月や星たちを隠した今夜は、本当の暗闇を味わえます。
「ここまで暗いのかーい」と突っ込みたくなるほどの暗さです。

前の方から声が聞こえます。手すりをつかみながらそろそろと歩いていくとだんだん慣れてきた暗闇に仲間たちの人影が見えてきます。
暗くて表情も何も見えないけれど、声からこの暗闇を楽しんでいるのが伝わってきます。


次の晩は雲も晴れて気持ちの良いくらいのひんやりとした風で船は南へ向かっています。
月ってこんなに明るいんだ。
星ってこんなに多いんだ。
漆黒の海を照らす月の道を進んでいくのはまるで宇宙を旅行しているかのようです。

やっと見えた久しぶりの陸だ!

もうすぐ陸が見える!
まだ出航して3日で、海も好きだけどやっぱり陸地が恋しい

「陸だ!」
誰かが陸を見つけたようです!

セイルトレーニング中には1回くらいの寄港地があったりします。
寄港地と言っても港に入ることもあれば小さな島の近くに錨をうって小さなボートで上陸したりすることも。
暖かい所なら海にそのままダイブ!

今まで一緒に過ごしてきた仲間もこうやって陸で遊んでいるとまた違う一面が見えてきます。
そんな楽しい時間ですが、航海にとっては折り返しです!

ここから、帰りの航海と言っても2〜3日くらい
もう以外と船で過ごす時間が短いことと、怒涛のようにいろんなことが起こった航海の前半にただただびっくりしてしまうかも?

そんなこんなでちょっと複雑な気持ちを抱えて帰りの航海の出航です!

というところで今日はここまで
最終回のPart3に続きます






2016年1月10日

セイルトレーニングとは? Part1「海の生活の始まり」

今回は僕が注目している「セイルトレーニング」という活動を紹介しましょう!

歴史や成り立ちは他のサイトに詳しいのでまたの機会にしてここでは、どんな活動なのかに絞って紹介して見たいと思いますね!

ズバリ!セイルトレーニングとは帆船やヨットという風を帆に受けて帆走する船で行う野外教育・体験教育です!
野外教育・体験教育とはなかなかイメージしにくいですが、大きくくくればボーイスカウトなどを含めた大自然の中で人が考えたメニュー(冒険や協力が必要な活動です)を行う活動を言います。
有名な団体ではOutward Bound(アウトワードバウンド)なんてのがありますね!ご存知でしょうか?山や雪山、川をフィールドに何泊もテントなどに泊まりながら、日常では体験できない挑戦ができるのです。

セイルトレーニングは山や川での活動と並んで海という大きなフィールドで挑戦をします。世界では主に青少年(中高生〜25歳くらい)が参加する活動が多いです。

さてさて、ここで船に乗ってから降りるまで船の上でどんな生活をするのかを見てみましょう!

どんな生活が待っている?

始まりの日

午前中〜お昼頃に船が泊まっている港やヨットハーバーに向かいます!
船が見えるより先に高いマスト(帆柱)が見えてきます。
近づくと波でマストのてっぺんがしてるのがわかります

いざ乗りましょう!乗るときは船によりますがそんなに大歓迎はありません。
「Hello!」くらいです。

ゆっくりと船の生活は始まります。
荷物を置きに航海中寝る部屋に案内されます。
だいたいは一人ずつにベッドがありますが、中にはハンモックの船やベッドを交代で使う船もあるかもしれません。

しばらくすると、旅を共にする仲間も集まってきて、デッキ(甲板)に集合がかかります。
そこで乗組員の紹介があります。
名前はなかなか覚えられませんが、航海始まればすぐに覚えられるので心配ありません。

また、大きな船では参加者も多いので、グループ分けが行われることもあります。
そのメンバーがこれから文字通り寝食を共にする仲間です!

海に出ると、船は舳先をまっすぐに外海に向かっていきます。
運次第、天気次第ですが船は揺れ始めて、恐怖の船酔いが襲ってきます。
運が悪ければもうめちゃくちゃになります
えらいこっちゃ!!

船酔いは決して苦しくはありません。病気ではないので、脱水症状さえ注意していれば、健康に害はありません。
ただ究極に気分が悪くなります。まさに波のように嘔吐感が襲ってきます。

誰も気分が悪くなりたくはないですが、このぐちゃぐちゃな状態を乗り切れば陸での生活なんて忘れてしまいます。今目の前に広がっている海と周りの仲間がこの世界のすべてになります。
普段の生活を全て忘れられることってなかなかない!!!

苦しい船酔いですが、新しい仲間と乗り越えることはセイルトレーニングの幕開けとなるのです。
もちろん早い人は数時間、かかる人でも1日〜2日で絶対に慣れて揺れ続ける船の中でモリモリご飯が食べられるようになります!

帆を拡げ、風で走る


船酔いを克服しつつある中で、マストに登って縛ってある帆をとき、ロープを引いてその帆を広げる方法を学びます!
ここで高いマストに登る(小さい船では登らないこともあります)という恐怖へのチャレンジが待っています。

簡単ではありませんが、登るコツをつかめば筋力のない人でも簡単に登れます。また、危険に思えますが、多くの帆船はできてから何十年も無事故記録を続けており十分な安全対策がなされています。
また、この挑戦は自由が保障されており、限界を感じたらいつでも挑戦をやめることできるようになっています。決して強制された挑戦ではなく2度目、3度目と少しずつ高さをあげてマストを登りきる人も多くいます。

いざセイルを広げるとここからは、船を当番を決めて走らせていきます。
当番外の時間は眠って体を休め、当番の時間は「舵とり」「見張り」「風に合わせた帆の取り扱い」を行います。ここでもちろん夜でも当番はやってきます。
月夜が輝く夜、または漆黒の暗闇で仲間と協力して船を走らせるのは大変ですが、特別な信頼関係がゆっくりと育まれていくのです。

当番の間はずっと忙しいわけではなく、空いた時間はゆっくりと海を眺めたり出会った仲間と話したりします。陸の自分を知られていない仲間だからこそ話せること。赤色の朝日を浴びながらだから言えること。一緒に船酔いを乗り越えた仲間だから言えること。我を忘れて口が勝手に動くように話し、笑っている自分がそこにはいたりします。

船酔いも忘れて、仲間とも信頼関係ができてきて楽しくなってきた海での生活。
どうなっていくのかはPart2に続きます。

2016年1月7日

海の色 環境から海を考える

世界につながる海と「その地域の海」

リオオリンピックのヨット競技(セーリング)会場

今日の夕方のニュース(日本テレビ系 News every. 1/7放送分)で放送していましたが、
「今年夏のリオオリンピックのセーリング競技会場の水はスプーン3杯を飲めば人体に危険を及ぼす」
と報道されていました。

スプーン3杯で人体に重大な危険とは大変なことですね!会場付近は陸に大きく入り込んだ湾になっていて海水の循環もあまり良くなく、そこにゴミや汚染された水を捨てる人がいるために、このようなことになっていると思います。

日本の海は?


日本ではどうでしょう東京湾なども陸に大きく入り込んだ形をしています。なかなかに汚いです。それでも一時期よりも改善されて少しずつ魚や生き物が住めるようになってきてるみたいですね(同じく日テレの鉄腕DASHのDASH海岸とかを見ててもわかりますね)

同じく入り組んだ地形の大阪湾・瀬戸内海もあまり綺麗とは言えません。
私もヨット競技を大阪湾でやっていましたが、水の色は正直リオデジャネイロと一緒で夏の時期には死んだ魚やゴミが浮き異臭が漂っていました。

一度大阪湾の奥の水が巡回しない場所の水の成分分析を見たことがありますが、確かに有害物質が含まれて居るという結果が出ていました。

砂浜や天然の海岸がなくコンクリートで固められた海は浄化作用がとても弱まっています。だからなかなかゴミを捨てずに放っておいても浄化されていきません。

瀬戸内海に面する岡山県では漁師や学生が協力して底引き網でゴミを引き上げ分別して廃棄するという取り組みが行われているそうです。
こういう活動でゴミを除去すれば広い海は自浄されるようになっていくと思います。

海の色って何色?

海の色と言えば皆さんは青を思い浮かべると思います。
リオデジャネイロや悪い時の大阪湾の奥部の海は茶色(ウーロン茶)みたいな色をしています。
瀬戸内海の海は緑色です。オーストラリアのケアンズというグレートバリアリーフの中の港の水も綺麗な緑色をしていました。

すべての海の水はつながっていますが、水質や色は均一になることはありません。
大阪湾やリオデジャネイロも元は綺麗な青や水色をした海でした。
ただその元の色を知らない人は今の海を見ても汚いとはあまり思わないかもしれません。

綺麗な海を見る・歩く

海水浴や写真で綺麗な海を目にすることがありますね。
その場所が特別な場所なのは間違いないですが、身近にある海岸も元々は特別綺麗で人が海とつながっていた接点となる場所で、少し人が海の大きさに頼りすぎてしまったがために今はパッとしない表情の海になっているのです。

一昔まで、船から海にゴミを捨て放題の時期もありました。(今ではもちろん禁止です)
これから海が綺麗になっていく時期に来ているのは間違いありません。
少しずつの気遣いの積み重ねで何十年か先に東京や大阪の海も「東京の海」「大阪の海」としてキラキラしてたらいいなと思います。

2016年1月4日

海との再会 大学のヨット部という世界

中学以来で海に出たのは小さな4.7mのヨットで

その魅力にのめり込む

「あこがれ」に乗って以来、海へのあこがれを抱きつつも野球にのめり込み過ごした高校時代。
大学に入学してヨット部というところを見に行ってみると、そこにあったのは長さ4.7mという乗用車ほどの大きさの小さなヨットで繰り広げられるスポーツの世界!
スポーツに未練があった自分は入部し、ここでインカレを目指すことに

小型のヨットは一般に「ディンギー」とよばれマイナーながらもオリンピック競技にもなっています。(次期東京オリンピックでは江ノ島で行われるそうです)

このヨットってのは日本ではいわゆる大学スポーツで一部の人を除いて多くが大学から横一線で始めるスポーツです。(もちろん経験者の多いチームもあります)
私は4年間チームメイトにも恵まれこのスポーツにガッチリのめり込みました。

風は見える?


まず、先輩に教えてもらったのは風の見方。

みなさんイメージしてください。

周りにはどこまでも胸くらいまで伸びた緑の草原が広がっています。風が吹くたび草は大きくなびき、緑のほわーんとした香りが全身を包みます。
鳥たちから見ると森を抜けてきた風が草原に黒いラインとなって進んでいくのがよく見えます。

そう!風は見えるんだ!!

よくテレビとかで見かける草原や森の映像を見れば草木や枝先が順になびく様子で風を見ることができます。

海でも一緒です青い波先は風が通ると震えます。風上を見るとそれが黒っぽい色となって海の上を風が翔けるのが見えます。見ようと思ったその日からくっきり見えるんです!!

それがすごく感激でした。

学校でのヨット部。

マイナースポーツと言いながらヨット部のある学校は高校や大学で全国にあり、ここで海に出会う人も多いように感じます。
ヨットというスポーツの難しいのは危険と隣り合わせにあるということがやはり大きいです。

実力がなければ強い風に吹き倒されてしまいます。
そのためにレスキュー艇を伴って練習するのが決まりなので、安全を確保するには設備や燃料という面でお金がかかったりします。
もちろん天気を読む力や強い風を使いこなす力も普段から付けていかなきゃいけません。

それにお金がかかるのもまた事実。新しいヨットは車くらいの値段なので。

一方で楽しいのは2人乗りならば誰かと2人きりで海の上で自然とレースの相手との駆け引きを楽しめます。2人の動きがピッタリと合って綺麗にヨットが動く時はものすごく気持ちがいい!!

あと、よく人生が航海にたとえられるように、ヨットのレース1本の間にも風が変わったり気分が揺れ動いたり、いろんなことが起こります。ただ、海に入る間は陸のことはすっきりと忘れて目の前の風のひと吹きや波の形、ライバルとの駆け引きや、仲間・相方との協力に全力を注げることです。

他のスポーツも同じですが、そうやって純粋に勝負事や自然との対話に集中出来る時間ってとても幸せです。

まだ、これからヨット部に入るチャンスがある人は海との出会いの場として、一度見学に行ってみたりすることを全力でオススメします。もしかしたらビビッとはまるかもしれません。


こうしてやっと大学生にして日常的に海で過ごすようになった私なのでした。。


2016年1月3日

私が初めて海に出た日

大阪市の帆船「あこがれ」で初めて海に乗り出す

マウンテンくんと船長さんとSuperflyと

以前の記事でお話したように本によって海へのあこがれを持った私は中学3年生のときに初めて海に乗り出すことになりました。

それまでは家族での海水浴ぐらいしか海に触れることはなかったのですが、どうやら大阪市には一般の人が乗れる帆船があるらしいということを知りました。しかもその名も「あこがれ」だそうな!
いてもたってもいられず、親にお願いして中学卒業後の春休みにはるばる大阪まで1泊2日新幹線での一人旅をすることになりました。

新幹線も初めてなら、関西も修学旅行でちょろっと来たくらいで何にも知らない旅でしたがなんとか大阪南港に泊まっている「あこがれ」にたどり着く。
乗ってみると周りは小学生の子供がほとんどで予想に反して大人扱いでめちゃくちゃ戸惑い。

まずは、「あこがれ」のルールということで自分の呼ばれたいあだ名を決めるらしい。
中学では苗字呼び捨てで呼ばれることの多かったのですが、久しぶりに小学校の時のあだ名を引っ張り出してきて、名札にデカデカと書いてみるとなんだか恥ずかしい。。
おんなじ「ベガ」チームになった隣の子のあだ名はその名も「マウンテン」くん。確か「山◯くん」(◯は全然覚えてな〜い)を見るとそのど直球さになんか笑えてきて恥ずかしさも忘れて胸に名札をつけちゃう自分がいる。

その日の昼は色々やってクタクタになって夜は自己紹介タイム。
こんなに多くの人前で話すなんてと思ったけども、将来の夢は船乗りですというとみんなが割れんばかりの拍手!なんか無性に誇らしかった覚えがあります。

海の上の船のベッドは思ったよりも静かでぐっすりと寝て次の日は高〜い高いマスト(帆柱)に上るそうな!
マット運動の後ろ回りも、鉄棒の逆上がりも、息継ぎなしのクロールも全然できない運動音痴の僕には大ピーンチ!!
と思ったけどそんなに怖さも感じぬまま登れちゃってびっくり!
そのせいかそんな印象に残ってない 笑

結局次の日もあっちゅう間に過ぎ去り船を下りる時間に
そこでなんと今回の笑顔の優しい素敵な船長さんがこの日で最後の航海!!っていう重大発表が。。
下りるときに船長さんに「船乗りになるの楽しみにしてるぞ!」と言っていただきガッツリ男の握手!(ちなみにこの時の船長さんとは昨年偶然に再会することができました!人生の巡り合わせって不思議ですね)

それから急いで新幹線に飛び乗り無事におうちに帰りましたとさ
めでたしめでたし

これからたくさん海に出ることになる私の人生のイッチバン初めの体験でしたが、マウンテンくんと船長さんとあだ名が面白かった乗組員の人と優しくしてくれたお兄さんくらいしか覚えてません 笑
あとは、朝起きて外に出ると広がっていた青い空青い海と心地よい風、それにその時大音量でかかっていた
「愛をこめて花束を」/Superfly
「花は桜 君は美し」/いきものがかり
の2曲がむちゃくちゃ強烈に印象に残ってます。

それ以来今になってもこの2曲は大事な思い出の曲で、海を見るとマウンテンくんのことを思い出してクスッとなる

砂漠が美しいのは、
どこかに井戸をかくしているからだよ。
-The Little Prince / 星の王子様 サン=テグジュペリ

僕にとっては

海が美しいのは、
どこかにマウンテンくんを 隠しているからだよ。

ってことですね!またどっかで会えないかな〜

2016年1月2日

海との出会い 本の中に広がる海

スコットランドを舞台にした子供達の物語

ツバメ号とアマゾン号の世界

私にとって海が特別な場所になったきっかけはイギリスの作家アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」から始まる12巻の物語でした。

「ツバメ号とアマゾン号」は、ウォーカー家の4人兄弟のジョン、スーザン、ティティ、ロジャがツバメ号という小さな船で休みの間、湖をまるで地球に見立てて冒険をする物語です。
見つけた観光用の地図を未開の地の地図に見立て、4人お小さな冒険者は見つけた湾や峠に島、山などに名前をつけてどんどん地図を埋めていきます。

日々、冒険を続けている彼らはアマゾン海賊を名乗る2人姉妹やその叔父のフリント船長らと出会い、大自然を舞台に壮大な冒険を繰り広げるのです。


私も小学校の時には森の中の川を越えて行ったところに秘密基地を作って遊んでいました。秘密基地から毎日探検をしていろんな場所を見つけ、見つけたものを基地に持って帰って、時には他の秘密基地のグループとちょっと喧嘩になったりしたり 笑


子供たちがは2巻の「ツバメの谷」以降は探検家や登山家になったり探偵になったり、はたまた小さな帆船で海に乗り出して行ったりと自由気ままに壮大な「ごっこ遊び」をしていきます。
私はそんな物語の世界にどっぷりと浸かって、いつか兄弟や友人とそんな冒険に出ることを頭の中で思い描いていました。

それからいくつもの物語を読んできましたが、今でもあこがれは輝きを増しており、海というのは私にとってとても大事な場所になっています。
大きくなってからはアマゾン号にそっくりなA級ディンギーという小さなヨットに乗るという夢も叶いました。

この本は学校の図書室や地域の図書館には置いてあることも多く、最近は岩波書店より文庫版が刊行され今なお日本を含む世界中で多くの人がこの物語と出会ってるのです。

本が好き、冒険が好きな方というあなた!
紙の扉を開いて海に乗り出してみませんか??

2016年1月1日

星の王子様 そして海

大事な場所である海 

砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。 
-The Little Prince / 星の王子様 サン=テグジュペリ

私の大好きな星の王子様の一節です。(最近、映画化されてます!)
この世界には、人それぞれ"特別な場所"というのがあるかもしれません。

生まれ育った家や街、大事な人と出会った場所
砂漠やオアシス、山や川
決していくことはできないけれど朝日や夜空

大事なものや思い出が隠れて生きている場所に行くと
不思議と笑顔になったり、涙が出てきたり
私にとってはそれが海でした。

出会った仲間、大事な物語、流した涙をいつまでも隠している海
そこに行くと、ふわりとしたやさしい気持ちに包まれます

何より海は広い‼︎‼︎
宇宙と同じくらい色んなものを隠して大事にしまっておけます。

海を自分にとっての大事な場所にしてみたいと思う人
そんなあなたに気軽に”海を歩いて"ほしい

海を見て笑顔になれる
手助けになるような情報を発信していければいいなと思います。

2016.01.01 海の歩き方 編集部